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予科練生:太平洋戦争中の活躍

予科練生は卒業後、全国各地の各種実験用機の訓練を行う練習航空隊で、戦闘機・爆撃機・攻撃機・偵察機等の教育を受けた後、部隊に配属され、一人前の飛行機乗りとして成長していった。

真珠湾攻撃(1941年12月8日)

予科練乙種第1期生~第9期生・甲種第1期生~第4期生が参加した。
真珠湾攻撃に参加した全出撃搭乗員のうち、約4割が予科練出身の搭乗員であり、練度の高い空母機搭乗員だった。
米国には、戦艦・巡洋艦・駆逐艦など6隻を撃沈したほか、損傷艦12隻という損害を与えたほか、
死者・行方不明者合わせて2,334名、戦傷1,023名という人的損害を与えた。
一方で日本の損害は、航空機29機、特殊潜航艇(機密の潜水艦)5艇、戦死傷者約100名にとどまった。

マレー沖海戦(12月10日)

真珠湾攻撃に参加した予科練生が多く動員された。 現在のベトナム・ホーチミン市近くのツダモウに進出していた海軍航空隊の96式および1式陸上攻撃機計85機により、英国海軍最新鋭の戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」および巡洋艦「レパルス」を撃沈し、東アジアの制海権を確保した。
同海戦は陸軍が実施したマレー半島上陸作戦を成功させることにもつながった。

ミッドウェー海戦(1942年6月5日)

この戦いで日本軍は一挙に主力空母4隻と、航空機285機および熟練の搭乗員約200名を一挙に失い、戦局は一気に日本軍の劣勢となった。
米国の航空機や艦船などの生産能力が向上してくのに対し、日本の生産能力はこの頃を境に質的・量的に低下していった。
また、熟練の搭乗員を失ったため、育成したばかりの若い予科練出身搭乗員が第1戦線に送られるようになっていく。

ソロモン海戦~本土防衛作戦(19428月8日~)

1942年8月から11月にかけて第1次~第3次ソロモン海戦が立て続けに勃発した。これ以降の1943年から翌年にかけて、ガダルカナル島沖航空戦・ブーゲンビル島沖航空戦・マリアナ沖海戦と、連続して日米双方の消耗戦が起きた。
兵力・資源力ともに米国に劣る日本の戦況はさらに不利なものとなり、1944年の台湾沖航空戦・レイテ沖海戦で海軍は航空戦力を実質的に失うこととなった。
レイテ沖海戦では、初めて特別攻撃隊が編成され、指揮官を除く24名の隊員全員が甲種10期生出身者だった。

予科練生は、乙種は18期、甲種は13期、丙種は最終期の17期まで、特(乙)種は6期までが航空機搭乗員として活躍した。しかし、戦況の悪化や航空機などの不足により、その後の予科練生は水上・水中特攻要員として教育を受けることになった。
特に1944年以降は、終戦までに合計約18万名の予科練生が大量採用では、一部の予科練生を航空搭乗員として養成するにとどまった。 その他の予科練生は水上・水中特攻要員として投入され、特に甲種13期、乙種22期、特(乙)種5期以降の出身者が多数を占めた。

入隊者・戦死者数

最終的にな入隊者数は約24万名にものぼる。
約2万4千名が太平洋戦争に参加し、そのうち約80%にあたる1万9千人が亡くなった。
また、特攻では2,800人が亡くなっている。
予科練生の年度別入隊・戦死者数
(海原会資料) (『阿見と予科練』編集委員(2002)阿見町発行から引用)
昭和 年 入隊者数 戦死者数 戦死者率(%)
5
79
49
62.0
6
128
65
50.8
7
157
105
66.9
8
150
96
64.0
9
200
109
54.5
10
187
125
66.8
11
204
168
82.4
12
469
348
74.2
13
954
760
80.0
14
1,297
1,005
77.5
15
2,073
1,601
77.2
16
6,456
4,648
72.0
17
8,872
4,662
52.5
18
44,138
4,157
9.4
19
151,471
1,070
0.7
20
25,034
130
0.5
合計
241,869
19,038
7.9

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