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特別攻撃隊:活躍

筑波海軍航空隊からも84名の方が特別攻撃隊として動員されました。
ここではそのごく一部の方の活躍について掲載しています。

富安俊助中尉(享年22歳)

1933年3月に早稲田大学専門部政経科を卒業してから満州で働いていたが、 同年9月に第13期予備学生として土浦海軍航空隊に入隊した。
その後、筑波海軍航空隊で零戦搭乗員としての訓練を受け、翌年5月に海軍少尉となり、松山・岡崎海軍航空隊に転属し、中尉へ昇格した。
そして、1944年3月に再び筑波海軍航空隊に配属され、第14期予備学生の教官となった。

3月28日に筑波海軍航空隊特攻隊が編成され、第10筑波隊隊長に指名された。
5月14日の5時30分に500kg爆弾を装着した零戦52型に搭乗した。
第6筑波隊隊長として鹿屋基地から12機を率いて発進し、種子島東方沖において午前6時57分にアメリカ軍空母「エンタープライズ」に突入した。 この1機の突撃が致命傷となり、エンタープライズは以後の作戦に参加出来ない状態になった。

金井正夫少尉(享年23歳)

仙台高等工業専門学校卒業後、第13期飛行予備学生となり、筑波海軍航空隊で戦闘機過程を修了した。
終戦間際に一人の女学生から手紙が届く。当時、女学生は学校から兵隊を励ますよう勧められており、文通をしていた。 最初は国の政策で始めたものだったが、次第にやり取りの回数は増え、手紙は200通にも及んだ。
ある日、女学生の元に最後の手紙とともに2つのペンダントが届いた。
ペンダントは戦闘機の風防ガラスを削って造られたものだった。
送り主の金井少尉は1945年4月6日に神風特別攻撃隊第1筑波隊員として鹿屋基地を発進し、沖縄周辺のアメリカ軍輸送船団に突入し、最期を遂げた。

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